カレンダーを見ると、季節は既に9月の半ば。
慶太朗の実習も残り一週間となった。
彼の実習が終わる日には赤丸がついていて、
「実習終わり!!」と可愛らしい丸文字で予定が書いてある。
夏休みが始まる前、彼が私の部屋にいた時に書きこんだものだ。
彼の字は男のくせに妙に可愛くて、よくそのことでからかってじゃれていたものだ。
あの時は、まさかこんな風に夏休みを過ごすことになるだなんて、
お互い予想だにしていなかっただろう。
実習の残り1週間は、精神的にも体力的にもギリギリの状態であるに違いない。
去年の私も、まさにその状態であった。
だけど、とある1本の電話に元気をもらったことは良く覚えている。
去年。
まだ慶太朗と私が付き合ってなかった頃。
彼は実習で半分死にかけていた私に電話をくれた。
話の内容なんて、大したものではなかったし、
あの時、私は慶太朗のことをそこまで意識しているわけでもなかった。。
だけど、わざわざ電話をしてまで応援してくれた慶太朗に心を打たれて、
元気をもらったのを覚えている。
・・・・というか、ぶっちゃけあの電話が、いろいろな始まりだったのかもしれない。
と今更ながらに思う。
要は、何が言いたいのかって言うと、
―慶太朗の声が聞きたい。
さっきからずっとそんなことばかり考えている。
そして、今はタイミング的にかなりチャンスなんじゃないかと思っている。
去年、元気をもらった分、私も彼を励ましてあげたくて・・・・。
だけど、心の中には臆病な私がたくさんいる。
まだ慶太朗は怒っているのではないか・・・・とか、
もしかして別の人と仲良くなっていたらどうしよう・・・・とか、
9時過ぎちゃったし、寝てるんじゃないか・・・・とか、
更にその上、電話に出てもらえなくて着歴だけ残ったら妙に気まずくない?とか、
考えれば考えるほどキリがない。
さっきから3時間もこうして悶々と考えている。
だけど、そろそろ考えることさえ面倒になってきてしまった。
ええい!!いいや!!
ウジウジ考えるのなんてめんどくさい!!!
とっととかけちゃえ!!!
後は野となれ山となれだ!!!!
急いて携帯をひっつかむと、着信履歴から慶太朗の番号を探し、
勢いで通話ボタンを押したのだった。
*****
金曜の夜で明日は学校がないというのに、
俺にはたくさんの課題が残っていて、まだ休むことができないでいた。
残り2つの授業の指導案、それから子どもたちとのお別れ会の準備。
結構なボリュームである。
特にお別れ会の準備では、子どもたち一人ひとりにメッセージカードを書くという作業があり、
それがかなりの重さで俺にのしかかっていた。
同じクラスの担当実習生は、俺以外全員女っていうのが大きな要因だろう。
女ってこういう作業大好きだよなー、手紙とか細かいやつ。
はあ、と深いため息ひとつ。
さて、ここは一つコーヒーでも飲んで一服しようか。
そんなことを考えながら、席を立ちあがると、俺の携帯のバイブ音が響きわたった。
うわっ!!きやがったな!!!!
春が去年、「実習の時に携帯なんて見たくもない!」
と言っていた気持ちがこの3週間で良く分かった。
というのも、指導教員からの連絡が自分の携帯にひっきりなしに入ってくるからだ。
指導教員から連絡が入るということは、つまり指導案の訂正やらなんやらが入るわけで・・・。
バイブの音が鳴ると、反射的に嫌ーな気持ちになってしまうのだった。
うーん、もう9時過ぎているし、居留守使いたいなあ・・・・。
だけど電話の相手が高島先生だと思ったら、やっぱりそういうわけにもいかない。
意を決して震え続ける携帯を手に取ると、
思いがけない相手の名前に、思わず「うあ!!」と声を出してしまった。
携帯のサブディスプレイに「城高春」との表示。
びっくりしすぎて、出るのをためらっていると、やがて携帯は止まってしまった。
まだ、心臓がばくばく言ってるのが分かる。
何で春?ていうか何で電話!????
待ち焦がれた彼女からの電話の意図がつかみ切れず、しばらく呆然としてしまう。
だけど、春は滅多に用事がなければ自分から電話なんてかけてはこない。
何かきっとあるに違いない。
俺は3回深呼吸をしてから、携帯の着信履歴を呼び出し、彼女に電話をかけたのだった。
*****
はあーあ。
私はひとつ、ため息をついた。
やぶれかぶれになって電話をかけたはいいものの、
結局慶太朗は出なかった。
さすがにもう、寝てるよね。
金曜だし、明日学校ないし。
そう思い、部屋を離れようとしたその時だった。
ピリリリリリリ
携帯の着信音が部屋中に響き渡った。
急いでベッドの上に放ってあった携帯を引っ掴むと、
「着信中 阿佐慶太朗」の文字。
ただとにかく彼の声が聞きたくて、私は何も話す内容なんて考えずに通話ボタンを押した。
「・・・・もしもし」
いざとなるとさっきの意気込みはどこへやら、ちょっと自信のない声になってしまう自分が悔しい。
『春。ごめん、電話くれただろ?なんかあった?』
久しぶりに聞く、彼の少し低い声。
なんだか妙に落ち着いてしまって、私はしばらくその余韻に浸ってしまった。
彼がもう一回、『春?』と私の名前を読んで、はっと我に帰る。
『どうした?なんかあった?』
そう聞いてくれる彼の声は、まるで今ケンカ中だなんて思えないくらい穏やかで優しくて・・・。
思わず顔が緩んでしまった。
もう、声が聞けただけで私は十分。
「・・・・ごめん、いそがしかったよね。声聞きたかっただけだからいいんだ、切るね」
『ちょ!!待った!!』
切ボタンを押そうとしていた私を引きとめてくれるものだから、なんだか期待してしまう。
『春、最近どう?バイトとか、大丈夫?』
そこからいつも通りの会話が始まった。
彼の実習の愚痴もいっぱい聞いたし、
私のバイトの状況もいっぱい話した。
だけどお互い大事なところには触れていない。
一見穏やかだけど、腹の探り合いのような会話。
本当は話さなきゃいけないことがたくさんあるのに、どちらからも切りださない。
これじゃだめだ!いつもの私と一緒!!
彼と向き合うって決めたじゃない!!
言ってやれ!!!
そう思って、私はついに話を切り出した。
「ねえ、慶太朗」
『なに?』
「私、ちゃんと慶太朗に話したいことがある。だけど電話じゃなくて、直接会って話したい。
実習終わって、余裕ができたら、会ってくれる?」
息も継がずに一息で言いきると、慶太朗にはばれないように大きく息を吸った。
しばらく沈黙が続き、だんだんと気まずくなる。
なんで彼はすぐ返事をしてくれないのか、気になってしまう。
『俺からその話をしたかったのに、春に先越されちゃったな。俺も、ちゃんとお前に話すことある。たぶん、実習終わってから3日後には落ち着くと思うから、その日でいい?』
うん、と返事をすると、どちらからでもなく、じゃあねと言って電話を切った。
久しぶりに聞いた彼の声。
聞けただけでとても嬉しかった。
だけど気になるのは、彼の話ってなんだろう?
また、私の中の弱い自分がこう囁く。
別れ話だったらどうしよう?そんな妄想さえしてしまう。
でも、まだ決まったわけじゃない!・・・・よね?
そう自分に言い聞かせて、私は静かに携帯を閉じたのだった。