ep10 One after Another
  

「うん、いいね。阿佐先生。この指導案で次の授業は行ってみようか」

生徒が帰った後、午後5時の国語科研究室。
お子様たちを帰してしまえば、後は大人だけだから、俺たち教育実習生も先生たちもうんと羽を伸ばせる。
そのためか、この時間帯は昼間よりも和気あいあいとした雰囲気だ。
他の教科の研究室だとそうもいかないらしいけど、国語科に関してはのんびり、まったりである。

俺の指導教員である高島先生は、その国語科でも特にのんびりしている先生で、
優しく、手取り足取り俺に指導してくれる。
その上、今担当になっているクラスの担任なのでとてもやりやすい。

「あ、そうだ阿佐先生。羽月さん、どう?まだまとわりついてくる?」

夏だと言うのに、暖かいお茶を顔色一つ変えずに啜りながら、高島先生が尋ねてきた。

「いや、先週に比べたら大分落ち着いてきました。くっついてこないですし」

苦笑いをして、そう答えた。
先週は嵐のように俺に付きまとっていたあの子も、俺の痛烈な皮肉が利いたのか、
今週になるとかなり落ち着いてきていた。
まあ、無駄に絡まれることには変わりないんだけど、
過剰なスキンシップはさすがになくなった。

「そう、それならよかった。あの子もね、多分いろいろ満たされないことがあるんだと思うよ。
 だから、阿佐先生にちょっかいだして、かまって欲しいだけなんだ。
 体は一丁前に大きいけど、まだまだ中学生。コドモなのさ。」

にこにこと、穏やかな笑みを浮かべてそう語る高島先生は、いつのまにか俺の憧れになっていた。
この人は、人当たりがよいが、正しいと思うことは正しいと突き通す。
その凛とした姿勢は、教師以前に人間として尊敬できる。

「そうそう、阿佐先生は実習にはなれてきた?体は大丈夫?寝てるかい?」

そういって俺の心配ばっかりしてくれる高島先生のほうが、俺よりも全然寝ていないことを知っている。
なんでも、高島先生はこの学校に赴任してきてから、毎日4時間ぐらいしか寝れてないそうだ。
午前様になることもしばしばあるらしい。
大学付属のこの学校は、県内でも多分・・・一番忙しいだろうね。と、高島先生は言っていた。
それでも慣れてしまえばこっちのものさ、というのが先生の弁なんだけど、
俺の平均睡眠時間8時間であることを考えると、その半分で一日を過ごすってのは、考えるだけでも恐ろしい。
だけど、高島先生はその生活をもうかれこれ3年、続けているそうだ。
神かかってるって言うのはこういうことじゃないかって思う。


正直、教員って楽な仕事だって思ってた。

『夏休みも冬休みも春休みにあるし、給食は食べれるし、子どもが帰ったら仕事終わりだろ?』

大学に入って、教育実習の恐ろしさを聞くまでは、こんな子どもじみたことを本気で考えてた。
だけど、そんなことってないんだよな。
本当は子どもよりも早く学校に来て、授業の準備して、授業をやって、
クラスの人間関係をしっかりと把握して、子どもの指導をして、
子どもを帰してからだって、会議に出て、いろんな雑務もあって・・・
見えない仕事がいっぱいある。
先生って本当に大変な仕事なんだってこと、この2週間で身をもって理解できた。
正直、辛い。

再来年からは、こうやって、何かしら大変な仕事につかなきゃ、生きていけないんだ。
その仕事が教員じゃなくても、だ。
そうしないと、大学を卒業したら生活することができない。

そう思うと、自分のこれからの就職活動が更に目前に迫ってきている気がして、落ち込んでしまう。

「あ、へんなこと聞いていい?」

俺がこうして悶々としていると、高島先生が更に話を続けた。
やはり、穏やかな笑みが消えることはない。

「先生は、教員になろうと思ってる?あ、別にプレッシャーかけてるわけじゃないよ、正直な話、さ」

正に今考えていることにドンピシャな話だった。
だけど、イエスとも、ノーとも答えられなくて、『迷っています』と短く答えた。

「だろうね、ほんと、僕もそうだったよ、学生の頃はね」

高島先生はくくくっと笑いを零しながら、更に続けた。

「だって、こんなに教員が大変な職業だとは思わなかったからねえ」

「え、そうなんですか?意外です」

「いやさ、僕だってしんどいのは苦手だし、楽して遊んで暮らしたいと思ってたし・・・・」

まるで今の俺のようで、胸がざわざわと音を立てる。
なんだ、先生もそんなこと思ってたんだ。
先生のような、教育一筋のような人でもそんな時期があったかと思うと、
なんだか意外で、更に話へ聞き入ってしまった。

「だけどさ、やっぱ逃げるわけにはいかないじゃない。法律でも『国民には勤労の義務』が謳われているだろう?
 だったら、なるべく人のためになって、面白くて、飽きない仕事に就きたかったんだよね。
 まあどんな仕事でも、ある程度は人のためになるけど・・・・
 その中でも教員って仕事が僕にはピッタリでさ。
 大変なのはどの仕事でも対して変わらないし、だったら『先生』になってやろうって、そう思ったんだ」

ここでいったんお茶を啜ってから、先生は話を更に続けた。

「で、僕が阿佐先生に何を言いたいかっていうと、とにかく人生一度しかないから、
 飽きる仕事に就かないほうがいいよ!ってこと。
 まあ、阿佐先生は教員に向いてると思うから、『先生』を僕はオススメするんだけどね。」

あっはっは、と笑いながら先生はそう言った。

俺のどこらへんが教員に向いてるのか気になって、先生に尋ねると、

「まずは、礼儀正しいところ。これはとっても大事。それから、どんな子どもに対しても平等に接するバランス感覚。
 あ、授業中のしゃべりも結構上手だよ。声の出し方とか、抑揚のつけ方とか・・・・。
 どっちかっていうと、努力で身についたっていうよりは、天性のものを感じるんだよね~
 だから、阿佐先生は教員に向いてる。これは僕のお墨つき!」

と、あっさり言われた。
俺のこと、まだ1週間とちょっとしか見ていないのに・・・。
だけど、ここまでほめられてしまうと、悪い気がしなくて、
ありがとうございます、とお礼を言った。

 

それにしても・・・・・

『飽きない仕事』

その言葉を聞いて、はっとした。

今のバイト、スポーツクラブのスタッフは、飽きずに続けることが出来る仕事であった。
やはりその要因は、お客さんとの関わり合いであろう。
常連さんに話しかけてもらえる、顔を覚えてもらえる。
それだけで嬉しくて、やりがいを感じることができる仕事だ。

そう思えば、教員という仕事はなんとなく似ているところがある気がする。
だって、子どもたちは毎日少しずつ変わっていくだろ?
もちろん、良い方向にも、悪い方向にも。
その子どもたちと、コミュニケーションを取りながら関わっていく仕事が教員。
やっぱり似ていると思う。

毎日同じことを繰り返すような仕事に自分が飽きてしまうことは、
俺自身バイトをいくつか経験することで感じていることだった。

そう考えると・・・、
教員って仕事を真面目に考えてもいいかもしれない。

俺に立ちはばかる社会の壁。
少しずつ、崩れてきているような気がした。


*****


夏季休業中にも関わらず、私は今日も懲りずにジャージにノーメイクでキャンパスをひたすら歩いていた。
というのも、集中授業を受けるためである。
本来ならば、4年次は卒業論文に集中するため、授業を取らないようなカリキュラムになっているはずなんだけど・・・
ちょっとしたサボリがこんなところに影響してしまっていた。
この授業の単位が取れないと、私は教員免許を取ることが出来ないので、地味に死活問題。

あーあ、めんどくさいなあ。
戻れるのなら、あの日の自分に渇を入れてやりたい。

授業自体は講義のみなので、聞いているだけでよい。
まあ、最後にテストはあるけど・・・・。
それでも、ゼミみたいなディスカッションや実習形式ではないから、そこまで面倒でもないだろう。

そんなことを思いながら、のろのろと講義室へと向かった。

いろんな人たちが足早に私を抜かしていく。
きゃあきゃあ言ってる女の子たちのグループ。
だらだら歩いている男子集団。
中には部活や体育科の後輩がいて、私にちゃんと挨拶をしてくれたりもする。
そして、恋人同士であろう幸せそうなカップルたち。

―カップルの姿を見てしまうと、どうしても慶太朗のことを思い出す。

今は授業をしているのかな?とか、
それとも研究室で指導案書いているのかな?とか、
生徒と一緒に過ごしているのかな?とか・・・・・。
そんなことばっかり。

自分でもおかしいよねって思っちゃう。
慶太朗がいないとダメなのかな・・・。
なんて、体育科女子にしてはガラでもないことまで考えてしまうんだ。

このあいだ森中君に話を聞いてもらって、いろいろヒントを貰って、慶太朗の気持ちがなんとなく分かった気がする。

『俺はエスパーじゃないんだ。お前の気持ちが全て分かるわけじゃない』

これが慶太朗が言いたかったこと。
たぶん、慶太朗も私の気持ちが分からなかったんだと思う。
私がなぜ怒っているのかとか、
彼にどうして欲しかったのかとか・・・・。
こんな私の本音を、彼は聞きたかったんだと思う。

分かってしまえば、シンプルなこと。

だけど、それは私が一番苦手なこと。

―それは・・・・自分の奥底の気持ちを正直に伝えること。

これに気づいたときは、正直はっとした。

そういえば、私は人に対して自分の奥底の気持ちを伝えたことってほとんどない。
1度だけ、慶太朗と付き合う前に、バスケ部の同期の佐知子へ相当な勇気を出して、
(ほとんどやぶれかぶれだったけど)気持ちを伝えたことがある。
その時は、佐知子との関係が切れることや、私の周囲の評価が下がってしまうことを相当覚悟した上だった。

だけど・・・・、今度はそういうわけにもいかない。
私は慶太朗を失いたくない。
もし、私が慶太朗に自分の気持ちを打ち明けたとしたら、メイワクじゃないだろうか。
ワガママな女だ、って思われないかな?
別れるなんて話にはならないだろうか?

・・・・・怖い。

それが正直な気持ち。

彼に対して、やらなければいけないことは大体わかった。
だけど、この恐怖にどう立ち向かえばいいのか。
出来ることなら逃げてしまいたいこの状況。
私の前に大きな壁が立ち憚っていた。

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