「あらあー城高さん、どうしたの、今日は体調でも悪いの?」
「あら、ほんと、顔色悪いじゃない!」
受付で常連のおばちゃん2人組に話しかけられて、自分がぼーっとしていたことに気づく。
「あ、あれ、そうですか?そういえば最近卒業論文を書いてて、あんまり寝てないんですよ~」
あはは、と苦笑いしながら取り繕って答えると、学生も大変よね~、がんばって!と応援されてしまった。
・・・・ごめんなさい、すごーい嘘です。
ほんとは卒論なんてまだまだ実験の段階で、書き上げるなんて程遠いし・・・・。
本気で私を応援してくれたおばちゃんたちに心の中で謝りながらも、またひとつため息をついた。
慶太朗の教育実習が始まって、1週間が経っただろうか。
あれから彼とは連絡を一切取ってない。
もちろん、向こうが頻繁に連絡を取れる状況じゃないことぐらい分かっているけど・・・・。
それでも、彼とすこし離れることで、自分が冷静になっていくのが分かった。
だけど、彼がなぜ怒ったのか。
それだけはずーっと分からなくて、なんだか謎解きをする探偵にでもなった気分である。
「春ちゃん、さては阿佐くんとなにかあったんでしょう?」
ドッキーン!!
そ、その声は・・・・。
我らがお姉さま、由佳子さんだった。
先ほどまで、休憩だったはずでは?と思い、時間を見ると、丁度19時。
シフト表をみると、これから由佳子さんが一緒に受付に入ることが確認できた。
それにしても、第一声でそんなことを聞かなくてもいいのに・・・・。
―まあ、慶太朗のことは当たっているんですけどね。
「返事がないって事はあたり?」
ふふふっと笑みを零して尋ねてくる由佳子さん。
ああ、もうなんでそんな綺麗な笑顔で聞いてくるかなあ・・・・。
もう誤魔化す余地もないことを悟った私は、正直に白状するしかなかった。
「ふーん、そっかー。結構激しいケンカ、したんだね」
「はい」
事のいきさつを大体話し終えると、由佳子さんはふーっとため息をついて、そうつぶやいた。
この人はいつでも私にピンポイントでよいアドバイスをしてくれることが多く、とても頼りになる。
「ね、春ちゃんはこのケンカのことどう思った?」
あくまでも微笑みを崩さずに私に問いかける由佳子さん。
なんとなく、その笑顔は全てお見通ししているようで、あえて答えるのもなんだか憚られるような・・・。
だけど、私は彼女の質問に答えるべく、重い口を開いた。
「えっと、やっぱ慶太朗って社会をナメてるよなーとか、
謝ってきたのになのに、何で逆切れするんだとか、いきなり距離置くとか、訳分からないです」
ある程度正直に話すと、由佳子さんは笑みを更に穏やかにして、こう言った。
「そっかー、じゃあ春ちゃんは阿佐くんのキモチが分からなくて、困ってるのね」
「そういうことです」
「そうねえ。ね、阿佐くんにどんなこと言われたか、思い出せる?そこにヒントがあると思うの」
あの日、彼が私に言ったこと・・・・。
もう1週間も前の話だから、そこまで正確に覚えているわけじゃない。
だけど、あれだけ散々言われたんだから、ちゃんと思い出せることだってある。
彼はあのとき、どんな気持ちだったのか。
嫌な思い出を、少しのぞくことにしたのだった。
*****
「阿佐先生~!!」
「ん、なんですか・・・ってちょっと!」
いきなり俺は女生徒に抱きつかれて、しどろもどろになってしまった。
金曜日の放課後。
大学付属中学校での実習も1週間を終えようとしている。
初めての授業も何とか終えることが出来た。しかし、正直緊張しすぎて評価も散々だった。
それでも慰めあえる同じクラス担当の仲間や、必要なことを指導してくれる先生にも恵まれ、
なんとか乗り越えられることができている。
俺は中学3年生のクラスの担当となり、クラスの生徒たちとも、だんだんと距離が縮まってきた。
・・・・・なんだけど。
このオンナ。
俺にいつも抱きついてきたり、妙に絡んできたりする生徒がいた。
彼女は最初のクラス連絡会でも、担任の先生からも要注意とされていた生徒で、
なんでも問題行動を起こしているとか・・・・。
万引きとか、暴走族と付き合ってるとか、裏が取れていることでも10本の指に納まりきらないらしい。
しかし、学校は彼女をおおっぴらに処分することが出来ないそうだ。
というのも、彼女は地元の大病院の娘で、その上親が学校一のモンスターペアレント。
それゆえ彼女の処分ができないのだという。
それをいいことに、彼女は親の権力を使ってこの学校でやりたい放題しているそうだ。
ったく、今の中学生ってほんと、やなかんじだよな。
んなことすんなっての!
で、なんだか知らないけど、俺はその女生徒―羽月さんに、どうやら気に入られているらしい。
だけど、さすがの俺でも6個下のお子様には興味が持てるはずがない。
いつも適当にあしらうのであった。
「羽月さん、なんですか?」
「えー?先生と仲良くなりたいだけですよぉ?」
えへへー、と言いながら、計算ずくの笑みを浮かべている生徒。
確かにかわいい顔をしている。
あと何年もすれば男が放ってはおかないであろう。
しかし、俺に関しては、そういう媚売りまくりなオンナは大嫌い。
もう、こういったヤツなんかはモロ嫌なタイプ・・・
本来だったら「辞めろ」「うざったい」「きらい」と、きっぱり言い放つであろう俺だが、
仮にも教師という立場では、ばっさりと言葉に出して言うことができない。
ちょっとした一言が大きなトラブルに発展することだってあるのがこの世界。
特に彼女の場合はバックに大きなものがあるため、当たり障りのない言葉でやり切るしかない。
「そうか、でもそんなんじゃあ、先生とは仲良くなれないと思いますよ」
「えー、そうなんですかぁ~?」
「そうですね、僕は少なくとも、いきなり抱きつかれることはあまり好きではありませんね」
そういうと、相手もあきらめたのか、腰に回した手をすっと離した。
だけど、まだ計算の笑顔が崩れることはない。
はあ。めんどっちいやつだな・・・・。
正直うざったいんだけど、ここで教師の仮面をはずすわけにもいかない。
どっちにしろ、彼女には違うクラスに彼氏がいるそうだ。
どうせ、その彼氏にやきもちでも焼かせたいといった寸法だろう。
「え~?じゃあ~、先生って、カノジョいるんですか?」
「そんなこと聞いてどうするんですか?」
少し声に苛立ちを込めてしまったことに少し後悔する。
ただの15歳の子どもにここまでキモチを乱されてしまうなんて・・・・。
ちょっと俺のプライドに触った。
「ちょっと知りたいだけですよぉ~、だって先生イケメンだしぃ、アタシのタイプだしぃ」
この言葉遣いがなによりもいらいらする。
こうやって語尾を伸ばせば、可愛く見えるとか思ってるんだろうな。
今まで彼女はちやほやされて生きてきたのがよーく分かる。
そんな可愛らしい演技をしたって、俺の彼女には絶対かなわないっつの。
痛烈な皮肉を込めて、俺は彼女にこう返事をした。
「僕のタイプは語尾を伸ばしてかわいい子ぶる人ではなくて、きれいな言葉遣いをする人ですからね。
羽月さんも気をつけてみてください、では」
すると、彼女は顔を真っ赤にして、悔しそうに俺を見つめてくる。
こんなオンナ、俺が中学の時にもいたよなー。
自分がカワイイって勘違いしている、痛い感じのヤツ。
まあ、ここまで言えばちょっとは落ち着くだろう。
俺は彼女を背にして、とっとと国語研究室に向かったのだった。
それにしても、こんな嫌な女に会うと、余計に俺の彼女―春が恋しくなる。
気取らない、それでいて言葉遣いが綺麗で、体育科なのに気品がある女の人。
俺が会いたいのはその人だけなのに。
今は会うことができないでいる。
連絡さえとることはできない。
なあ、春。
俺が何言いたかったか気づいたか?
俺が気づかなきゃいけないことってなんだ?
教えてくれよ、春・・・。