ep3 Celebration
 
 

「ただいま!!」

玄関によく通る綺麗な声が響き渡り、
昨日教員採用試験を終えた春が帰ってきた。
会わなかったのはたった1週間と少しだけなのに、
彼女の声を最後に聞いたのは、どこか遠い昔のように感じられる。
久しぶりに見た彼女の顔はどこか晴れ晴れとしていた。
大きなプレッシャーから開放されたためであろう。
そんな春が愛しく感じて、言葉をかける前に、抱きしめてしまった。

「なに?どーしたのよいきなり」

抱きしめる直前、やっぱりピクっと体を震わせた彼女。
まったく、いつまでも初心だよなあ・・・。

「おかえり、試験はどうだった?」

彼女の少し茶色い、ふわふわな髪の毛に顔を埋めながら尋ねると、

「ん、まあまあ・・・かな」

という返事が返ってきた。

「ねえ、慶太朗は寂しかった?」

俺の腰に腕を回しながら、すこし甘えた声を出してくる。
そんな素直なところも可愛いところなんだけど・・・。

ちょ・・・それは反則ですよ春さん!!

「私は寂しかったよ。ずーっと会えなかったし、電話でしか声、聞けなかったし」

俺の胸から上目遣いで見上げてくる春はやっぱりかわいい。
普段、バイトでちゃきちゃきと働き、仕事をこなす彼女。
だけど、俺の前だけで、こうやって甘えてきてくれる。
もう、ばりばりに甘えさせたくなるんだけど・・・・
このままじゃ俺の理性が持たない。

―俺も寂しかったよ

そんな気持ちを込めて、軽く触れるだけの口付けをしてやった。
すると、頬をすこし赤く染めて、彼女がはにかむもんだから、ちょーっととまらなくなりそうだった。
だけど俺は自分の理性を総動員して、なんとか自分の欲を抑えた。

だって、今日は春が採用試験を終えた記念すべき日だろ?
だから俺はささやかなお祝いを用意していたのだった。
それをぶち壊したくはない。

「なあ、春。採用試験お疲れ様。今日のメシは俺が用意したから、座って待ってて」

まるでお姫様をエスコートするかの如く、俺は彼女をテーブルの席に着かせるのだった。


*****


「カレーライス?」

いつもなら私が立っている台所に、あろうことか家主の慶太朗その人が立っている。
そこから漂ってくるこの香りは・・・カレーライスの匂いに違いなかった。

「そ、あたり!」

なんでカレー?
お祝いをしてくれる彼の気持ちはとっても嬉しいんだけど・・・
なぜカレーライスなのだろう。
気になったので率直に聞いてみた。

「なんでカレーライス?」

「え・・・・理由言うの?」

少し照れたようにうつむく彼。
いつもは私がやられてばっかだから、少しからかいたくなる。

「だって、いつもは料理をまったくしないのに、なんでかなーって思って」

「・・・ヤダ。言いません。」

「えー、なんで?」

ぶーぶー私が文句を言うと、更に照れてそっぽを向く彼。
もう一押し?かな?
別に大したことじゃないんだけど、こんな彼は滅多にお目に掛かれないから、もう少し粘ってみる。

「知りたいなー慶太朗がなんで私にカレーを作ってくれたのか、知りたいなー」

にこにこしながら、あともう一声掛けて見る。
するとついに彼が私の方を向き、
一言、こう言った。

「なんっつーか、いつもご飯作ってもらってるし、たまには俺が作ってあげようかなーなんて思ってさ・・・」

「それでそれで?」

もう!!可愛いこと言ってくれるじゃない!!
その言葉を聴いただけで、ほんと、私はおなかいっぱいなんだけど、
もっと話してくれそうな雰囲気なので、私は続きを促す。

「で、俺、料理苦手だから・・・唯一自信もって作れるのがカレーなんだよ。だから・・・・」

「すごい嬉しい!!」

すべてを聞く前に、嬉しさのあまり、私は思わず、台所に立っている慶太朗に後ろから抱きついてしまった。

だって、あの慶太朗が!!
いっつもニヒルに笑って見せてはブラックなコメントを言ってばかりいる慶太朗が!!
あんまり、好きとか言ってくれない慶太朗が!!
私のこといつもからかってる慶太朗が!!
私のためだけに一生懸命ご飯を作ってくれてるんだもの!!

ほんと、言葉だけじゃ感謝の気持ちを言い表せなくて・・・・
体がつい動いてしまった。

「慶太朗大好き」

あったかい彼の背中に顔を埋めて、そうつぶやいた。

暫くの沈黙が続く。
私は慶太朗の背中に抱きついたまま、彼のぬくもりを味わっていた。
だんだんとカレーのスパイシーな匂いが台所に溢れてくる。

「じゃあ、メシにしよっか」

そう言って振り向いた彼の顔は、付き合い始めたあの日みたいに真っ赤であった。

ぷっ!

私は思わず笑ってしまった。

「な、なんで笑うんですか!」

「だって、まっかっかなんだもん」

「え!!!???」

更に真っ赤になる慶太朗。
うわー、この人がここまで照れるのを見るの、はじめてかも。
ちょっとカワイイ。

「えー、春?」

こほん、と咳払いをして、慶太朗は改めて私の肩を掴んだ。
う、これから何されるんだろ・・・。
そう思うと、体がぴくっと反応してしまう。

「今日、何日?」

意外な質問に、私はきょとんとしてしまう。
だけど、ちゃんと今日の日付ぐらいは答えられる。

「7月24日でしょ?」

それがどうした、といわんばかりに私が答えると、
慶太朗が今度は私を見て笑い始めた。

「俺が何を言いたいか、分かる?」

今日、なんかあったっけ?
まあ、確かに私の採用試験は終わったけど、他に思いつくことがない。
全く分からずに困っていると、慶太朗は優しく教えてくれた。

「記念日」

あ・・・・・。
そういえばそうだった。
私たちが付き合い始めたのは昨年のクリスマスイブ。
そこからもう既に7ヶ月の月日が経過していたのだ。

思い出してみると、いろいろなことが蘇ってくる。

始めは「先輩」「阿佐君」って呼び合ってて、
慶太朗は柄にもなく、私に対していつも敬語だった。
それが次第になくなってきて、いつの間にかお互い名前+さん、くんで呼ぶようになって、
最終的には呼び捨てで呼ぶようになっていた。
そういえば、バイト先で交際がばれて、とんでもないことになってしまったっけ・・・・。
すこしケンカもした。
記念すべき最初のケンカは、「私のメールがそっけない」ということだった気がする。
今から考えれば、くだらないなと思えることでも、
そのときの私たちにとっては真剣な話題であった。
最後には、慶太朗が譲歩すこし我慢する。私が少し頑張る。
という案で和解したっけ。
それに、キスもいっぱいしたし、体もたくさん重ねた。

この7ヶ月を思い出せば、
慶太朗のことばっかり思い出す。

早かったようで、濃密だったこの7ヶ月。

「もう、7ヶ月も経ったんだね」

しみじみと、そうつぶやいた。

すると突然、彼はこんなことを言う。

「ね、春、右手出して」

彼の言葉どおり、自らの右手を差し出すと、指にすっとなにかをはめられた。
一瞬、何が起きたのか分からなくて、すぐに自分の右手を確認した。
そこにあるもの、それは・・・・

「指輪?」

私の右薬指には、シルバーに輝くシンプルな指輪がはまっていた。

「そ、俺とおそろい」

そう言って、慶太朗は自分の右手を挙げて見せる。
そこには、私と同じ指輪が輝いていた。

「こういうの、嫌い?」

突然のことが起こりすぎてリアクションできない私を見て、慶太朗は少し不安そうな声で尋ねた。

「ううん、なんか、ほんと嬉しくてびっくりしすぎて、なんて言っていいやら・・・・その・・・・」

うまい言葉が見つからなくて、口ごもってしまう。
そうしたら、ぎゅっと抱きしめられた。

「嬉しい?」

「・・・うん」

なんだろうこの気持ち。
嬉しいんだけど、そんな軽い気持ちじゃなくて・・・・。
好きとか、そんな簡単な言葉じゃなくて・・・・。
もっと深い、心から湧き上がってくるような、そんな気持ち。
悶々と彼の胸にうずくまって、言葉を捜していると、

・・・愛してる。

ふと、頭にそんな言葉が響いてきた。
ああ、そうか。
こういう気持ちのこと、愛してるって言うんだ。

「ね、慶太朗、一回しか言わないから、よく聞いて」

すると彼は、穏やかな笑みを私に向けてくれる。
ちょっと照れるけど、こんなこと今しか言えない。
少し背伸びして、彼の耳元でそっと、その言葉を囁いた。

「あいしてる」


・・・・その直後、強制的にベッドに連れられてしまい、
結局、慶太朗特製のカレーライスを食べられたのは、翌日の朝だった。

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