7月―
教員を目指すものへの登竜門、教員採用試験が行われる。
私はそこに向けて、現在必死こいて勉強をしていた。
なんてったって、自分の就職と将来がこの試験にかかっている。
そりゃ一生懸命にならないほうがおかしい。
教員採用試験の前1週間、私は慶太朗とは会わないことにしていた。
と、いうのも、二人で居るとやっぱり楽しくなって集中できないし、
私がご飯を作ったり、掃除をしたり、彼のお守りをしなければならず、
精神的にも負担が大きいからだった。
それに、彼も彼で結構忙しい時期に突入している。
というのも、今は8月にある教育実習の準備がいよいよ本格的に始まる時期。
1ヶ月に渡る、軟禁拷問とも言うべきあの実習には、周到な準備が必要なのだ。
だから、最近ではお互い自分の家に帰り、
必要な連絡はメールや電話で済ませ、自分のやるべきことに集中しているのであった。
保健体育の専門分野の問題集を解いていると、携帯のバイブが鳴る。
慶太朗かな?
そう思い、ディスプレイを見ると・・・・ビンゴ。
「着信中 阿佐慶太朗」の文字が。
彼からの電話を嬉しく思い、すぐに勉強を中断させて、通話ボタンを押す。
すると、いつも通り。
心地よい彼の声が聞こえた。
『春?今大丈夫?』
「うん、大丈夫。どうしたの?」
『いや、指導案のことでちょっと聞きたくてさ・・・・』
慶太朗の用事とは、指導案の書き方だったり、細かなことについての質問だった。
初めての教育実習で不安になっているのだろう。
なぜなら、彼は失敗を過度に恐れるタイプである。
だから、石橋を叩いて、叩いて、割ってしまうぐらいに確実なことが分からないと気がすまないのだ。
そこが私とは少し違うところ。
私はどちらかというと、確実なことを確かめるのが面倒で、石橋を確かめずに渡ってしまうタイプ。
大きな性格の差。
そのためか、大雑把に捉えすぎていて、仕事で慶太朗にフォローされることも多かったりする。
こうやってお互い足りないことを補えることもあるが、
けんかになってしまうこともよくある。
去年私が教育実習で気をつけていたことを大体教えてあげると、
彼は安心したようで、ほっとした声を聞かせてくれた。
『ありがと、春。もうちょっと頑張ってみる』
「うん、頑張って」
『春もあと少しだろ、頑張れよ』
「ありがとう」
そうしてまもなく、電話は切れた。
話している間は、何を話していたとしても幸せなのに・・・
こうしていったん通話が切れてしまうと寂しくなる。
採用試験1週間前から会わない、って決めたのは自分なのにね。
さあ、私も頑張らなくちゃ。
もう一度、問題集を開いて、復習を始めるのだった。
*****
―今頃、筆記試験が終わったころかな?
受付から見える時計は昼の12時を指している。
今日、春は教員採用試験の受験のために地元に帰っていた。
一方俺は一人寂しくせっせとバイトである。
「阿佐ちゃん、そわそわしすぎ」
一緒に受け付けに入っていた由佳子さんが、そんな俺を見て、ふふっを笑みを零した。
院生として大学に残っている彼女は、未だにこのバイトを続けており、
俺たちのことを暖かく?というかからかいながら?見守ってくれている。
「そう・・ですか?」
「うん、もう今にも春ちゃんの元へ行きたい!ってオーラがぷんぷん出てるわよ」
綺麗な顔から生み出される素敵な笑顔とは裏腹に、
相変わらずこの人はいつでも俺の心を抉るような言葉をかけて来る。
だけど、それはよく当たってたりするもんだから余計に困ったり。
今や、もう慣れっこなんだけど・・・・。
「はー、春ちゃんと阿佐ちゃんが付き合い始めてから、もう4ヶ月?5ヶ月?阿佐ちゃん、もしかして記録更新じゃない?」
ほんわかと、昔を懐かしむように話をする由佳子さん。
しかし・・・・なんでこの人はこうやって俺の過去をズバっと当ててくるんだろう。
本当に図星。
実は、今までの最高記録を更新しつつある。
「なんでわかるんですか?」
最初っから彼女には白旗を挙げている。
だから、率直に由佳子さんに尋ねると、
「森中くんから聞いたわよ~、あなたの最長記録は3ヶ月ってね。なんだか今までの女の子がかわいそうだわ」
森中とは、俺の学部の親友とも呼ぶべき友人で、同じバイト先に勤めている。
ただし、専攻が違うため、最近では会う機会も減っていたのだが・・・・
それにしても、森中お前・・・口が軽くないか?
「やっぱ、春ちゃんと一緒だと居心地がいいのかな?」
ニコニコっとした笑顔で俺を覗き込む由佳子さん。
ああ、もう俺やっぱこの人苦手!!!
俺の気持ちをまるでエスパー級で当ててくる。
そう、春との付き合いの居心地のよさは本当で、小競り合い程度のケンカはあるが、今まで大きなケンカはひとつもしていない。
価値観も合うし、お互いつかず離れずの距離感が心地よい。
もちろん、半同棲みたいなことはしているけど、自分の時間を大事にするスタンスなのでお互いを束縛しない。
一緒に居てもまるで気を遣うこともなくて、落ち着くことが出来る。
それが付き合いを長く、穏やかにしている理由であろう。
だけど、口が裂けてもこんなこと、由佳子さんに言えるわけもない!
言ってしまったらどうなってしまうか、簡単に予想できてしまう。
*****
どうにかこうにかで由佳子さんとの腹の探りあいのような会話を終え、俺は昼の休憩に入った。
携帯をすかさずチェックすると・・・
あ、来てる来てる。
春からのメールであった。
思わずふっと笑みがこぼれてしまった自分がなんだか恥ずかしい。
こんな俺、他の人には見られたくないな。
『今、筆記試験が終わった。あと面接やったら終わり。3時には実家に帰れると思う。
明日は慶太朗の家に行くから、よろしくね』
なんともそっけないメールではあるが、それも彼女の特徴。
実は彼女。メールが苦手なのだ。
パソコンとかゲームとかが好きだから、そういうコミュニケーションも得意なのかなと思いきや、
『実際にあって話をするほうが楽しいし、メールを打つのがめんどくさい』
といった、実にアナログな人間なのだ。
俺はどちらかといえば、メールのコミュニケーションも大好きだった。
だから、付き合い始めてから、彼女のドライなメールにとまどってケンカになってしまったんだけど、
今では「彼女からメールがくれば奇跡」というスタンスでとらえるようにしている。
だから、今彼女からメールが来るだけでとても嬉しい。
昔だったら当たり前だったメール交換も、今では1通1通の重さや大切さが全然違う。
これも、彼女から教えてもらったことであった。
俺はニヤニヤしながら簡単に返事を書いて送信すると、静かに携帯の画面を閉じた。
明日には彼女に会える!
なんだかんだ言って1週間強、春には会っていない。
もちろん、最低限の電話やメールなんかはしたけど、それでも会うなら直接のほうがいいに決まっている。
だけど、それでも我慢できたのは、彼女の将来の夢が掛かっているからだ。
春が中学生の時から憧れていた教員という職業。
その夢を叶えるチャンスなのだ。
俺はそんな彼女の夢、応援したい。
だから・・・・。
―あいつの試験、上手くいくといいな。
そう願うばかりだった。