ep5 days go on
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「春ちゃん、どした?なんか悩み事??」

「ぅえ!?」

私は素っ頓狂な声を上げる。
ただいまバイトの真っ最中なのにもかかわらず、私はどうも深いため息をついていたようだ。
声をかけてくれたのは、バイトの先輩。由佳子さん。
美術学科の専攻で、私のひとつ上。
学生バイトの中でも最年長で、姉御的存在であった。
しかも、妙に勘が鋭いもんだから、いろんなことに気づき、いつも相談に乗ってくれる。

本当ならば、今深いため息をついている件について、由佳子さんと話したいところなんだけど・・・・・。
あまりにも身近な人間関係過ぎて相談できない。

そう・・・・阿佐慶太朗についてである。

例のお出かけから丸1ヶ月が経過しようとしていた。
季節は既に夏。
半袖とスカートでも汗ばむ季節だ。
ただし、季節は変わろうとも、私と彼の関係はあれからどうなったっていうわけでもなく、そのまんまである。
一緒にまたどこかへ行くわけでもなければ、親交が深まったわけでもない。
まあ、実際そんなもんか、なーんて思い始めている自分がいるぐらいだ。

「いやあ、これから教育実習かと思うと、気が重くて・・・・」

だから、私はもっともらしい理由でごまかしてしまった。
まあ、確かにこれから始まる教育実習は本当に気が重いから嘘ではないけど。

「そう、なにもなければいいんだけど」

そう言った由佳子さんはここで会話を終了させた。
やっぱこの人は鋭いな。と私は思う。
彼女の顔は納得しきっている顔ではなかった。
半ば嘘はばれているだろうが、こっちとしても早々簡単に話すわけにもいかないのでこれでいいんだけどね。
変なうわさになるのが一番嫌だったのだ。


*****


今日の部活はいつもとは違った。
そう、ついに私は部活をやめる決心がついたのだった。
部長・キャプテン・監督のOKをもらったので、
その旨を今日、全員に伝え、今日いっぱいで部活を辞めるつもりでいた。
智美にしか相談していないので、唯一の同期である佐知子さえ知らない。
ちょっと佐知子には申し訳ないことをしているな、という罪悪感は感じていたが、
それよりも自分の都合を優先するぐらいに、早く部活を辞めたかったのだ。

フリースロー、3on3、対人・・・・次々とメニューをこなすごとに私の自由が近づいてくる気分になった。
気持ちが高まってくる。
これでもう私は自由なのだ、と。

そしてついに今日の練習が終わり、ミーティングの時間になった。
私はすっと挙手をし、自由への宣言を始める。

「すいません。突然ではありますが、本日いっぱいで、部活を辞めさせて頂きます。」

ええっ!と周りがどよめく中、佐知子は目をまん丸にして、微動だにしなかった。
あまりにも衝撃的だったのだろうか。瞬きさえしない。

「・・・・・ひどいよ春。なんであたしをひとりにするの?」

さっきまでまったく身動きしなかった佐知子が口を開いた。

「私の個人的な都合でやめるんだよ。別に佐知子を一人にしようとか、そんな意地悪をしようとしているわけじゃないよ」

私は言葉を慎重に選んで、彼女に返事をした。
ただでさえ私は彼女が苦手だ。
ことを大きくしたくない。

「だって、春が辞めたら、あたしバスケなんてやってらんない!あたしも辞める!!!」

再び周りが喧騒に包まれる。
いや、まさかそんなことになるだなんて想像もつかなかった。
・・・・・確かに相談もしないで、勝手に辞めるって決めたのは私。
私・・・なんだけど・・・・。
この、私が悪者的なオーラは何なんだろう?
退部にオッケーをくれた先輩たちまでもがそんな雰囲気を醸し出しているんだけど・・・・・。

*****

なんでこんなことになるんだ!

部活の帰り道、私は自転車に乗りながら、いらいらを運転に発散させるがごとく、猛スピードで帰路についていた。
結局、私が退部ではなく、休部を宣言することであの場はなんとか治まったが、甚だ迷惑な話である。
佐知子は部活のエースだから、辞めさせるわけにはいかない。
そんなわけで、キャプテンの先輩が「休部にしたら?」と私に提案してきたのである。
私があれだけの決心をして退部を申し出て、やっとそれが受理されてこの結果だ。
散々である。

ああ、考えただけでイライラする!!

佐知子の友情は私にとって重すぎるのだ。
うっとうしいことこの上ない。
これだけいらいらしてしまったら仕方ない。
こんな日は酒を飲むに限る。

そんなことを思いながら、交差点で信号待ちをしていると、意外な人物の声が後ろから聞こえてきた。

「あれ?・・・・先輩ですか?」

余裕がなかった私は、いらいらいしたまま、後ろを振り返る。

「あ・・・・・。」

淡い桃色のポロシャツにハーフパンツとビーチサンダル。
それらを身にまとった阿佐慶太朗その人が後ろに立っていたのだ。
同じく自転車で信号待ちをしていたらしい。

私は自分の余裕のなさにがっかりした。
まるで鬼の形相であろう、この顔をばっちりと見られてしまったわけである・・・・・。
数秒の沈黙の後、彼はその顔を見たせいか、すぐに「すみません」といった。

い・・・・いや、君のせいではないんだよ。

本気でであせってしまった。

「ちょ・・・ちょっと、これはその・・・・あの・・・・・」

誤解を解きたいんだけど、なかなかうまい言葉が思いつかなくて、どもってしまう。
なんだか恥ずかしくなってきて、顔がほてってきている気がした。

「これはなんていうか、別に阿佐君のせいではない・・・というか・・・・」

「え?」

「私・・・・ちょっと部活で嫌なことがあって・・・・それでいらいらしてて・・・・」

そうなんですか、と彼のすこし安心した声が聞こえて、私も安心した。
一瞬でお互いがいつもの顔に戻っている。
余所行きのふわふわでもなく、ニヒルなブラックでもなく、穏やかな笑顔。

そういえば・・・・あの日からひとつだけ変わったことがある。
彼の「顔」がひとつ増えたことだ。
それが、あの日パスタの店で見せてくれた、何かを慈しむような穏やかな笑顔。
その笑顔をいつも見せてくれるようになった。
正直あの顔をみると、私もなんだか暖かい気持ちになる。
そんな不思議な「顔」だった。

「先輩、まるで般若みたいなすごい顔してたから・・・僕何かしたかと思ってびっくりしちゃいました」

おどけて言う彼のブラックジョーク。
いつものやり取りに、私も自然と笑顔になった。

「なんだか先輩、相当溜まってますねえ・・・・どうです?今度飲みにでもいきませんか?」

体が一瞬びくっとしたのは気のせいではない。
また、心臓がどきどきしてきた。
あの桜が散っていたときと一緒である・・・・。
私、緊張してる。
そんな私の様子を知ってか知らずか、彼は話し続ける。

「あ、でも来週から教育実習か、忙しいですよね・・・・」

確かに彼の言うとおり、来週からいよいよ教育実習で、私は大学付属の中学校に1ヶ月行くことが決まっていた。
指導案やらなんやらで準備にてんてこ舞いになっているのもまた事実で、正直忙しい。

「じゃあ、こんなのどうです?実習終わったら、お疲れ会も兼ねて、どっか行きましょう!」

嫌じゃない。
それが正直な感想。
というか、彼と一緒だったらまた楽しい時間がすごせる気がする。
だから、私は一言オーケーの意を告げていたのだった。


*****


教育実習前の最後のバイトの日。
私は森中君と1時間、シフトを共にしていた。
ヤンキーな彼は見た目とは裏腹に、かなりの親しみやすい好青年である。
どこかのブラックな彼とは大違いもいいところだ。

「阿佐って、ここのバイトで最初っからあのキャラなんすか?」

「え?あのキャラって?」

森中君の質問の意を計りかねて、私は思わず彼に聞き返した。

「あの~腹黒ってか、毒舌ってか・・・かわいい顔に似合わずってか・・・そんな感じのやつですね」

「うーん、私には始めっからあんなかんじだったけど、いつもあんな感じじゃないの?」

「いや、それがそうじゃないんすよ、春さ~ん」

こんなひょうきんで明るいところが森中君の親しみやすさを倍増させているに違いない。

「あいつ、女に対しては基本的にずーっとニコニコしてるだけで、当たり障りないんすよ。
だから、オレ、春さんに対するあいつの態度見て驚いちゃって。」

意外なるブラックの日常?
だけど、普段からあの「ふわふわモード」でいることは私の予想の範疇ではあった。

「で、ニコニコのおかげかすっごいモテるんだけど、基本的に彼女作らないんすよ。
大学入ってからずっとそう。変わったやつたと思いません?」

「すごい理想が高いんじゃない?いるじゃん、そういう人」

「そうなんですよね、ダチのオレから見ても結構読めなくて。あんまり人ともつるまないし。個人プレーなんすよ?」

人とつるまなくて、個人プレー・・・・?
森中君の言葉は意外であった。
少なくとも、私が知っている阿佐慶太朗という人は、確かにブラックではあるものの、基本的な人付き合いはこなしていると思っていた。
だって、出会って2ヶ月程度の私とでさえ一日の外出をしたわけじゃないですか。
そう考えると、「人とつるまない」「個人プレー」という部分が腑に落ちない。
確かに外見はいいから、笑顔を絶やさずにいればウケがいいことは簡単に想像がつく。

「へえ~そうなんだ・・・・結構意外かも」

「でしょ~春さん!だからオレ、このバイト入って、阿佐の意外な一面知れてよかったっすね。」

「でもそんなによい部分でもない気がするけど・・・・」

「違いますよ。ヤツの性格みたいなのが1つ分かってよかったってことっす。」

森中君は顔をきらきらさせながら笑顔でこういった。
多分これは彼の中でも大真面目に本気の台詞であろう。
少しクサかろうがなんだろうが、彼にとっては本気なのだ。

「森中君、ほんっとにいいやつだねあんたは」

「春さん、今頃気づいたんすか?だからって、オレに惚れちゃだめですよ!彼女いるんだからね!」

「誰が惚れるか!」

私は森中君の肩を軽く叩いてやった。
それにしても、彼はこんなによい友人を持って幸せだと私は勝手に一人で思っていた。
いや、正直佐知子のことがあったから余計にそう思ったかもしれないけど。
個人プレーを望む友人を理解してくれる存在って、今の私にとってはうらやましい限りである。

ああ、阿佐少年とは正反対で、森中少年ってなんて真っ白でいいやつなんだろう。
私はついついそう思ってしまったのだった。

「おっと、噂をすれば阿佐少年、交代の時間?」

森中君と他愛のない話をしていると、シフト交代に来た噂の張本人がやってきた。

「そうだよ、時計見ろよ。もう21時だろ?」

「おお、ホントじゃねーか!そんじゃあ、オレはジムの方に行かなきゃ!」

「だな、俺とバトンタッチだ」

阿佐君は同年代と話すときに一人称が「僕」から「俺」に変わる。というか口調自体も変わる。
ふんわりに男っぽさを加えた感じで、いつも丁寧な言葉で話しをされている私にとってはちょっと新鮮だ。
だけど、これがタメの友人とつるんでいるいつもの彼なのだろう。

「先輩、森中と何話してたんですか?」

突然彼は振り返って、私にこう尋ねた。
ひどく無表情で少し怖いんだけど・・・・・私何かしたっけ?

「うーん、いや別に特にたいしたことは話してないけど・・・・」

さすがに君の性格の話だとは言えないので、お茶を濁すような返事をしてしまった。
果たしてこれで納得してくれるのか、ちょっと謎だ。

「ならいいです」

と、言って急に彼がまた穏やかな笑顔を見せるから。
私はほっとしてしまう。
人を嫌な気持ちにさせるのは、正直楽しいことではない。

それからは普通に世間話や、あさってから始まる教育実習の話やらをしているうちに、閉店の時間となった。
今日は土曜日だったので、お客さんも少なく、楽に働くことが出来た。
店長も早めに帰ってしまったから、売り上げの計算を協力して行いながらも、雑談はとまらない。

「先輩、実習がんばってくださいね」

「もちろん、がんばってくるよ!」

「僕との約束、忘れないでくださいね」

「わかってますよ~」

「約束ですよ?」

彼はまた、穏やかな笑顔で私に微笑んだのだった。

*****

<人物紹介>

由佳子

大学4回生。1つ上の先輩に当たります。
芸術系の学部です。
美人で百戦錬磨なお姉さま。
だけど、竹を割ったような性格で、洞察力が鋭いので、
春はよく気持ちを見破られて、心配されているらしいです。

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